母は常々子どもたちに。
時は金なり、と。
世の中は不平等だ、と申しております。
育ちも、能力も、容姿も。
すべてを備えて生まれる人もいれば。
何ももたずに生まれる人もいる。
現代の世の中にかぎったことではありません。
稲作が始まり。
米をたくわえられるようになった遥か昔から。
力のあるものが権力者として。
不公平はついてまわるのです。
学校のなかの先生の贔屓なんて。
社会にでたあとの理不尽にくらべたら。
非常に瑣末なことです。
ママ友と話をしていると、成績がいい子に対して。
「あの子は先生に気に入られているから」
という不満のつのった表現に、母は正直まゆをひそめてしまいます。
気に入られることが悪いかのような発言。
先生も人間ですもの。
多少の贔屓がはいって何が悪いのでしょう。
やりきれないと思うなら。
子どもが先生に気に入られるようにふるまえばいいし。
それを子どもができなければ、気にしないようにするしかないのではないでしょうか。
子どもたちの間で流行っている歌も気になります。
命に嫌われている。
とか。
今の私は本当の私ではない。
とか。
自分の境遇をのろうような歌詞ばかり。。。
親ガチャ
大嫌いです。
現在の境遇の不満を、親に責任をなすりつけているようにしか聞こえません。
母は理不尽だらけの世の中の今自分のいる場所で。
最善を尽くせる人になってほしいと。
子どもたちに対して思います。
学校のメインの場所は。
やはり学力にあると思います。
だからこそ、学力向上に力をいれます。
中学生になっても母は全力でサポートします。
これからもしていきます。
以前渋沢栄一の本を読んだときも。
同じように思いました。
この先。
望まない結果になることもあるでしょう。
志望校におちた。
就職活動で内定をもらえない。
思うよりお給料があがらない。
残業が多い。
恋人にふられた。
そんな不条理ななかでも。
どうしたらいい方向に物事がすすめられるようになるか。
そんなふうに 考えられる人になってほしいです。
もちろん、病んでしまうようなら。
状況をかえるべきですが。