ゆるい教育ママの育児日記

中3と小4の娘をもつアラフィフのお母さんです。主に家庭学習の記録、日々思ったことを書いていきたいです。

雄気堂々(上)、読了

新潮文庫城山三郎の雄気堂々(上)を読了しました。
新一万円札になる渋沢栄一のお話です。
渋沢栄一といえば、司馬遼太郎坂の上の雲日露戦争金策に尽力した経済界の重鎮というおぼろげな記憶しかありませんでした。
学校の勉強でも習った記憶がありません。
しかし、何気なく手にとった表紙裏の幕末からの激動の人生という一文で読むことを決めました。
私は歴史の転換期である幕末が大好きだからです。
また一万円札になるほど具体的に何をしたのか知りたかったのもあります。

渋沢栄一武州血洗島の農家に生まれます。
尊王攘夷派であり、外国人が大勢いる横浜居留地焼き討ち事件を企てますが、中止になります。
決行こそしなかったものの安政の大獄以来幕府の目が厳しかったため企みが発覚することを恐れて、故郷を離れます。
一橋慶喜の腹心平岡円四郎に見いだされて、藩士として奉公することになります。  
尊王攘夷派でありながら藩士として奉公する…この矛盾。
それでも自分をかくまってくれた慶喜や平岡に大変感謝して精勤します。
浪士上がりの腹のすわった大胆さ、持ち前の商才、勤勉家でありなが枠にはまらない奔放さ、先を見通す力…
着実に実績をつくって、慶喜の弟昭武の随員としてフランスに渡航します。
栄一は留学中も貪欲に欧州の文化を吸収していきます。
また藩からの送金も株に投資して増やします。
しかし、昭武が水戸藩家督相続をしなければならないため、1年8ヶ月後に帰国し、恩義を感じている慶喜のいる駿府…静岡に骨を埋める覚悟をします。
そのさいにまだ混沌としている新政府にきちんと旅費の精算をするしたたかさ、しかし静岡藩にその精算した旅費と投資で増やした2万両を返す誠実さ。
あっぱれです!
慶喜は栄一に静岡藩勘定組頭を命じますが、辞退します。
限りのある石高から藩ろくをいただくことの忍びなさと、また今更藩に仕えることは時代にそわないことも見通しているからです。
資本主義の父と呼ばれる礎を、慶喜のいる静岡藩から始めます。
まずは各藩に割り当てあられた、13カ年賦を利子付きで返済しなければならない50万両の石高拝借金を元手に、藩内士民の出資金、それと栄一の蓄えた2万両…それら資金を貸付預金業務をする商法会所を作ります。 
利益がでるように産業も改革します。
出資した者には配当があります。
当時三井や住友などは高利貸しや炭鉱などから得た潤沢な資金から、目ぼしい産業に投資して経営権をにぎる一人勝ちでした。
それを好まなかったのが栄一です。
一般士民からの資金で合本組織を作り、富の分配を行おうとしたのす。
そうした画期的な行いは、やがて明治の元勲大隅重信の目にとまり、維新政府への引き抜きが起こります…そこで上巻は終わりです。

栄一は常に本位ではないことをやってきました。
例えば尊王攘夷派なのに藩士となる。
慶喜に一生仕えて静岡で暮らそうとするのを、維新政府に引き抜かれる。
しかし、彼は本意でないことでも常に全力で取組み、現状維持をよしとせず、よりよい方向に向けて常にアンテナをはりめぐらし、また精力的に行動していきます。
主人は「子どもたちは好きなことを仕事にすればいい」とよくいいます。
しかし、そんな綺麗事が通るのでしょうか?
夢を叶えたり好きなことを仕事にできる人は、私はごくごく少ない限られた人たちだけだと思います。
ほとんどが、偏差値に見合った高校や大学にいき、なんとなく就職活動をして、社会人になっていくのではないでしょうか。
本位ではない仕事につくこともあるかもしれません。
でも栄一のように、たとえ本意でないながらも、与えられた仕事に全力で取り組める人になってほしいと、心から思います。

渋沢栄一には社会人として学ぶべきところがいっぱいあります。
子どもたちにぜひ読んでもらいたい一冊です。