次女の落ち着きのなさには、授業参観で後ろからみるとよくわかります。
前からご覧になっている先生には一目瞭然でしょう。
以前にも書いたことがありますが。
授業参観のときもひどかったのです。
名札を先生に預けるのを忘れて、いつの間にか紛失してしまうので。
小さな透明のポーチに入れ、お道具箱にいれておくようにいったのですが。
あろうことか、授業中にポーチを片手でふりまわしている。
先生がお話しているのに、後ろの男の子のノートをのぞいている。
椅子から今にもずりおちそうに、ふんぞり返るような姿勢でいる。
次女には公文の宿題を軌道に乗せるために、2年近くかかりました。
今でも、歌を歌ったりきょろきょろしたり、休憩が多いです。
とにかく落ち着きがないのです。
家に帰って、説教です。
いくらテストで100点をとっても。
授業中にあの態度では帳消しです。
先生のお話は、手は鉛筆をもつか、膝の上において聞くこと。
視線は先生か、発表するお友達のほうへ。
たぶん先生のお話の3分の1は聞けていませんね。
あれでは小3から始まる理社のテストはとれないでしょう。
長女は理社の教科書ワークが解けないことで初めて、先生のお話を一言もらさず聞くことの重要さを知ったといいます。
次女もその洗礼を受けるでしょう。
ちなみに家庭で低い点数でもよし、としてしまうと。
点数が悪いことが常態化してしまい、何も感じなくなってしまいます。
放任で育った母がそうでした。
長女のとき、理社は独立型のため中学から力を入れようと思っていたのですが。
3年1学期の理科のテストのほとんどが60点代だったとき。
60点で何も思わなくなるのはその後に悪い、と思い。
途中から理社も教科書ワークで学習することにしました。
やはり正解だったと思います。
先生の話をきちんと聞く重要さを知ったのですから。