計20巻はとても読み応えがあり、また詳細で、平安末期から鎌倉への怒涛の時代を改めてじっくり知ることができました。
歴史小説のなかで一番好きです。
公家から武家へ権力がうつりかわるこの時代。
いろいろなドラマがつまっていますね。
歴史上で私の嫌いな人物は、源頼朝、織田信長、牟田口廉也(インパール作戦遂行者)。。。この3人で決定しました(笑)
地上戦ではあっけなく木曽や義経に敗れた平家も海上戦となると強かった。
木曽は福原にいた平家に全く歯がたたず、義経ですらあぶなかった戦いがありました。
平家にも平敦盛、知盛のような有能な武将もいました。
源平戦のクライマックス、壇ノ浦の戦いはおもしろかったです。
舞台となる瀬戸内海は時間による複雑な潮のみちひきがあります。
武将である知盛は義経の前に頼朝の弟範頼や副将である北条義時と戦って圧勝しており、熟知しているはずでした。
しかし、義経の巧妙なかけひきにひっかかって、攻撃する時間を誤り、負けます。
そして、わずか6歳の安徳天皇の入水自殺。。。。
6歳の安徳天皇のことを平家の者すべてが主上と敬い、しかしまだ6歳の幼さゆえ母建礼門院にあまえたり困らせたりする普通の親子の姿が、平家が都をおわれてから随所にありました。
だからこそ、お祖母様の二位の尼の手ににぎられて、船から身を投げるシーンはいたたたまれせんでした。
「海の底にも都の候」という有名な一文があります。
それはたった6歳の子供に向けた言葉なんですよね。。。。
安徳天皇は次女と同じ歳です。
壇ノ浦の戦いが書かれた17巻は安徳天皇と建礼門院の美しいふたりの姿が表紙です。
建礼門院の伏し目がちな表情は胸に訴えますね。
頼朝も義経も安徳天皇の命まであやめとろうとは思っていませんでした。
実際安徳天皇の母の建礼門院徳子は死にきれず、平家の所領を与えられて生き延びています。
ちなみに入水自殺を促すのは武将であった知盛です。
彼は船に残った一族すべての人が海に沈んだのを見届けてから、錨を抱いて海にとびこみます。。。。
やっとの思いで勝った義経ですが、そのあとが哀れでした。
天才すぎるゆえに兄頼朝から恐れられて、排除されてしまった。
壇ノ浦であれほどの戦果をあげながら、鎌倉の地をふむことを許されないなんて信じられません。
義経は兄と対立することさえしませんでした。
ただただ兄の誤解をとこうとするだけでした。
使えるだけ使って肉親を平気で切り捨てる頼朝。
皇族は継承問題で骨肉の争いをしてきましたが、武士ではあまりないのではないでしょうか。
むしろ兄弟協力しあって、戦ってきたことが多いでしょう。
源氏がわずか3代で終わってしまったことは、肉親をないがしろにした結果としか思えません。
私は何故か、一の谷の合戦で捕虜にされた平重衡の一言が非常に心に残っています。
重衡は貴公子然としていたので、鎌倉にいる平家側の武士の宣撫につかうことにされて、捕虜でありながら客人として扱われます。
重衡の慰問に工藤祐経がきたときがありました。
工藤は重衡の兄の重盛につかえていて、重衡の送り迎えにもつきあったことがあり、親しく声をかけられたこともありました。
その重衡から「なんと工藤、虜囚とはよい身分のものではないか」と六波羅にいたときのように屈託なくいわれたときに、工藤は複雑な思いに言葉を失いました。
平家一門が栄華をきわめていた時代の家来に、慰問される側になる。
それでも恨み言ひとついわずに、過ぎ去りし日の朗らかさで、「なんと工藤」と家来の名前をよぶのです。
その一言がに心につつきささりました。
重衡は南都焼討の総大将として僧に引き取られて処刑されるまで、工藤は重衡に献身します。
長女が国語の授業で、古文の一文をひとつ選んで暗唱しなければいけなかったときに、平家物語の祇園精舎の鐘の声。。。を選ばせました。
母の熱烈な後押しです。
来年から社会の授業で歴史が始まります。
ぜひ歴史の背景にあるものを知ってほしいですね!!!
小学生用の平家物語もあって、長女にすすめたのですが、見事に却下されました。。。